『窮鼠はチーズの夢を見る』感想 ※ネタバレあり

『窮鼠はチーズの夢を見る』映画館にて見てきました。

自分って本気の恋愛したことないんだなぁと思い知る映画でした。今している恋愛も本気ではないのかもしれないと心配になるくらい…(笑)
まあ冗談はさておき、私はこの映画とても好きでした。原作のファンの方からは賛否両論あるみたいですが作品に批判はつきものなので、あまりレビューに左右されずに気になる方は観に行ってほしいなと思います。


ちなみに私は BL(この表現はあまり好きではないのですが分かりやすいように使います)に耐性はなく、原作未履修です。R15ってこんなに攻めるもん!?と濡れ場の多さに面食らったところはありますが、それを抜きにしても恋愛映画として好きだなと思ったのと、観終わった後の感情を整理するには文章にした方がいいなと思ったので、感想的なものを書いてみました。

 


この映画は「行間を読ませる映画」だなというのが観終わった第一印象。
いつ2人が付き合い始めたのか、大伴がたまきちゃんと婚約してからも今ヶ瀬との関係が続いているのはどんなやりとりがあったのか、海の帰りにどんな会話があったのか、そもそも大伴は何を思っているのか、など、今思い出すだけでも結構急な展開というか、あれ?なんでこうなってるんだっけ?と思う場面がいくつかありました。
私は作品内に描写されなかった部分を想像して解釈するのが好きなので楽しかったけど、展開に置いてかれてしまう人もいたのかもしれないな、と感じました。あと大伴の感情描写が少なくて、何を考えているのか分かりにくかったのかもしれない。私にとっては想像の余地があって楽しい作品でした。
色んな人のレビュー読んだ感じ、原作には結構その辺りの描写もあったらしいので、今度読んでみようかなと思っています。

 

 

 

ここからは色々と思い出すままに書いてるので多分時系列やら台詞やらめちゃくちゃです。

 


誰とでも体を重ねてしまって、中途半端な優しさがあるせいでキッパリと関係を断つこともできない、本気で誰かを好きになったことがない「流され侍」の大伴恭一(大倉くん) ……私はどうしてもこの大伴というキャラクターが好きになれなくて。というのも、私は決断力のない人間があまり好きではないのです。自分のことを自分で決められない人、周りに流されて自分を持っていない人は、特に好きになれません。なので前半は周囲に流されまくりな大伴に翻弄されるキャラクターに感情移入して、大伴に対しては怒りの感情さえ持っていました。ただ、後半、今ヶ瀬と別れた後の大伴は確かな自我があって、前半とはまるで別人のようでした。なので後半の大伴に対して怒りの感情は沸いてこなくて、むしろ報われてほしいとすら思ってしまいました。

 

さて、大伴にイラついていた前半ですが、私はずっと今ヶ瀬に感情移入していました。
でも今ヶ瀬に感情移入していると本当に苦しいんですよ。ずっと好きだった人がやっとの思いで振り向いてくれて、いざ付き合えても、いつ女の子とのお付き合いに戻ってしまうか分からないから、いくら愛されていても疑いの心はなくならないんです。え?辛すぎでは?

挙句の果てに現時点では同性婚が認められていないから、婚姻という約束さえできないんですよ。もちろん、婚姻関係を結ぶことことが確実な約束というわけではないのですが、できるけどしない選択をすることと、最初からする選択肢すらないのって天と地の差だと思うんですよね。

話がそれましたが、女の子と付き合う方がずっと楽なことを、大伴は十分に知っているはずだから、今ヶ瀬は余計に苦しむことになります。しかも、今ヶ瀬が大伴を落とすことができたのは、大伴が流されやすい性格だったからであって、大伴は人間関係に関して油断と隙しかないような人間だからなんですよね。そりゃ不安にもなるよね。自分みたいに、大伴のことを本気で落とそうと思った人に狙われたらきっと大伴は断り切れないと思うもの。

そしてまあ流され侍の大伴さん、メールのやり取りは出てくるわ過去のセフレとの繋がりが残ってるわスーツにたまきちゃんのファンデ付けっぱなしだわでだらしなさが残酷極まりなかったです。私が今ヶ瀬と友達だったらどうにかして大伴のことを諦めさせようと思うくらいボロボロになっているのに、大伴のことを見つめるときの愛おしさ100みたいな目を見てしまうと、何も言えなくなってしまいます。

 

特に今ヶ瀬可愛いなぁと思ったのが冒頭のシーンです。浮気の証拠を握られた大伴が、今ヶ瀬にもみ消しを頼む場面で、大伴の「寿司好きか?」(←生魚好きか?だったかもしれない) に「好きです」って答える今ヶ瀬の纏う雰囲気と甘い声が絶妙でした。明らかにこの「好きです」は寿司ではなく大伴に向けられたものであることが一瞬で分かる。成田くんに今まで可愛いイメージはあまりなかったけど、すごく可愛かったです。そんな甘えた声出しちゃうの~~~~~!?!?!?!?ってなった。

あと誕生日にワインをプレゼントするシーン、飲んだらなくなっちゃうからと開けるのを渋る今ヶ瀬に、「また来年もあげるから、それでいいだろ?」と聞く大伴、マジで罪な男だと思う。好きな人にそれ言われて嬉しくないやつおらんて。今ヶ瀬は、また来年と聞いてすっっっごく嬉しくて幸せで、でも大伴から出るその言葉を信じ切ることはできなくて苦しくて、自分でもどんな感情なのかよく分かってない、微妙な感情の表情がめちゃくちゃ上手かったです。こっちまで苦しくて引くほど泣いてた。

 

今ヶ瀬と大伴の恋愛があまりに自然すぎて、同性同士の恋愛映画であることを忘れてしまうほどだったのですが、そんな中で、同性同士のカップルの壁を思い知らされる場面がありました。

それは、劇中で夏生と今ヶ瀬がバトる場面。夏生が「恭一をドブに引きずり込むわけにはいかない」(ニュアンス)って言ったときに、めちゃくちゃ抉られました。全く関係ないはずの私の心が。ドブ…あんなに普通に見える恋愛でも、男と女の付き合いでなければドブなのか…と。もちろん、夏生にとって好きで大切な人である大伴が同性である今ヶ瀬と付き合っているという事実が衝撃的であったことは想像に難くないけれど、この場面のこのセリフが辛すぎて、これが映画じゃなくて舞台だったら、「何言っとんじゃボケ!!!!」とステージに上がってしまいそうな勢いだったので本当に危なかった。映画でよかった。

あとここの修羅場に登場した大伴が、今ヶ瀬が飲んでいたのと同じカールスバーグを頼むんです。そのときの今ヶ瀬が本っっっっ当に嬉しそうで、健気で私は泣いてしまったよ。ちなみにここでは夏生と今ヶ瀬のどちらを選ぶのか迫られて、恭一は夏生を選びます。カールスバーグ頼んで一瞬喜んだ今ヶ瀬の気持ちよ……。

もちろん自分が同性と付き合うことへの戸惑いや世間体などの葛藤があるとはいえ、心の中ではきっと今ヶ瀬に決まっていたのに、「男か女」というカテゴリー分けをして、どちらを選ぶのかとなったときに女である夏生を選ぶんです。「俺にはお前を選ぶことはできないよ」と今ヶ瀬に言いながら。ここで大伴は“男としての今ヶ瀬”を切り捨てました。でも今ヶ瀬に感情移入しているマンこと私としては、男としてじゃなくて、1人の人間としての今ヶ瀬を見て、選んでほしかった。ここで残された今ヶ瀬は恭一の飲みかけのカールスバーグを流し込むんですけど、ガーッと飲み干すんじゃなくて、ねっとり感があったのが非常に良かったです。

 

ブログの冒頭部分で、いつから付き合い始めたのかなー的なことを書いたけど、私的には「あなたのタバコになりたかった」と言う今ヶ瀬に「馬鹿だねえ」と言いながら頬を撫でる辺りはもう付き合ってたんじゃないかなぁと思っています。時系列覚えてないからもっと前にも確信できるシーンがあったのかもしれない。でもこのシーンでは、大伴の行動に今ヶ瀬への愛情があることが見えるというか、行動に気持ちが伴っている感じがしたので。

 

全体を通して、大倉くんって静と動を使い分けるのが上手い人だなぁと思いました。夏生と今ヶ瀬と大伴の修羅場で上げた大声は、今までずっと低くて落ち着いた声で話していたからこそ際立ったなあと感じました。これは、声の出し方の静と動。あともう1つ、目の演技にも静と動が存在するなと思いながら見ていました。

例えば今ヶ瀬から別れを告げたとき、恭一の目から完全に輝きが消えました。それまで、大伴が誰かに視線を向けるときには、本当の優しさかどうかは置いておいて、少なからず優しさが存在していたように感じていました。でも、今ヶ瀬が「もう無理だ」と言った瞬間、その目から一切の光が消えました。大倉くんの演技をまともに見たのが初めてだったので、こんな演技をするんだなあ、と思って観ていましたが、メリハリがついていて結構好きです。


この別れるシーン、目の光を失った大伴に対して、今ヶ瀬の目には怒りや苦しみや愛しさでぐちゃぐちゃになった感情が映し出され、涙で潤んでいました。この対比もよかった。大伴と今ヶ瀬は、きっと全てにおいて逆なんだろうなと思わされました。パズルのピースみたいに、逆だからこそぴったりハマることもあるだろうし、逆だからこそすれ違ってしまった部分もあっただろうし、すれ違ってしまったことによって、別れるという選択をとったのだと思います。

不安に侵食されたまま付き合い続けるのも辛いし、別れるのも辛い。そんな今ヶ瀬が、限界を迎えた場面でした。きっと私が今ヶ瀬の友達だったら(また言う)、一緒に飲みに行って、「あんな奴別れて正解!さっさと忘れよう!」とか声を掛けて、でも今ヶ瀬には何も響かないんだろうなーという謎妄想を繰り広げていました。

 

今ヶ瀬と別れたあと、ゲイバー(あの雰囲気だとハッテン場っぽさもある)に赴いたシーンはきっと今ヶ瀬への愛を確認するためのシーンだったんだと私は解釈しました。今ヶ瀬を好きなことと同性愛者になることは決してイコールではなくて、今ヶ瀬は明らかに特別で、無くしてはいけない存在だったことを思い知った涙だったんじゃないかな。まさに今ヶ瀬が大伴の人生の中の例外だったということ。あとこれは私だけかもしれないけど、大伴は"そっち側"の人間になったわけではなかったっていう安堵の涙もあったように感じました。

 

そこからもしばらく経って、お付き合いを始めたたまきちゃんがお家に泊まりに来てるシーンで、いつも今ヶ瀬が座っていた椅子に座ったたまきちゃんをすぐにベッドに呼ぶところでは、第三者的な目線からたまきちゃんのことを思って悲しい気持ちと、これまた第三者目線から今度は今ヶ瀬のことを思って、大伴が今ヶ瀬のことをちゃんと好きだったんだと嬉しくなる気持ちとで私の感情がごちゃ混ぜになってしまいました。登場人物並みに、いや下手したら登場人物よりも感情がぐちゃぐちゃでした。

だってたまきちゃんは大伴がベッドに呼んでくれて嬉しい!と思っているのに、恭一は椅子を今ヶ瀬の場所だと思っているからたまきちゃんを座らせたくなくてベッドに呼んだんですよ…。2人の考えてることがかけ離れすぎていて切なくなりました。

あと大伴が今ヶ瀬に「変態」と言い放った(この言い方には愛があるように感じたけど)彼パーカーをたまきちゃんは可愛く着こなしてしまうんだ…大伴は可愛らしい女の子と付き合ってるんだね…そしてきっとたまきちゃんは男の家に上がり込んで煮込み料理を作る系の女子だと思うんだ。なので映画のセリフだとちょっと私の解釈と違いました。

 

今ヶ瀬は、大伴は逃げ道がないと死んでしまうと本気で思っているから、大伴が今ヶ瀬と一緒に暮らすことを提案したあとに逃げてしまったんだと思う。同性同士のカップルで一緒に暮らすということは、もう自分以外と関係を持つことはないということで、結婚と何ら変わらないことなんじゃないかと思うんです。そして、それはつまり大伴の逃げ道を断ってしまうことであると怖くなって、耐え切れずに逃げ出したんじゃないかな。でもきっと、一緒に暮らすことを提案したときの大伴は心の底から今ヶ瀬のことを愛していたし、逃げ道なんて必要なかったと思うんですよね。ここでもすれ違っている2人…。

黄色い灰皿がゴミ箱に捨てられてるのを見て、本当に別れてしまったんだなと、今ヶ瀬は一生会えない、会わない覚悟を決めたのかもしれないなと思いました。だってマーキングなのか牽制なのかってレベルで大事にして、大伴の部屋に置いていた灰皿を捨てたんですよ。もう自由になっていいよ、ってことだったのかな。今ヶ瀬はどんな気持ちであの灰皿をゴミ箱に入れたのかな。はーーーつらい。

 

でもこの物語で一番かわいそうなのは女性陣だと思う。夏生は選ばれはしたけど結局最後まですることはできなくて、大伴の今ヶ瀬への愛を思い知ることになってしまったし、たまきちゃんはあんなに献身的に尽くしてくれて、婚約までしていたのに別れを告げられてしまうし…。

でも正直、恭一がたまきちゃんに別れを告げたことには驚きました。だって世間体気にしいの流され侍だったから。相手の気持ちを思うと、と言いながら自分の保身しか考えていなくて、自分から別れを告げられない人だったから。男か女どちらを選ぶか迫られたら女を選ぶ人間だったから。でも、そんな大伴が流された末の選択ではなくて、自分で決めた行動をとったことは非常に意味のあることだったと思います。そしてそれは、間違いなく大伴が今ヶ瀬と一緒に過ごす間に、本物の愛や優しさを知ったことからきているんだろうな。

 

 

きっと、今ヶ瀬は大伴のもとに戻ってしまうのだろうと思っています。もしも戻ってきたたときには、2人に幸せな未来が待っていますように。